sandasatoyamacamのブログ

関西学院大学 総合政策 佐山浩ゼミ(研究室)

台湾留学レポート② 語学クラス&台湾の中の日本について

你们好!

みなさんこんにちは、栗本優美子です。

今日は夜友達と映画を見に行く予定なので、少し早めに更新します!

MTC(Mandarin Training Center)について

【MTCについての説明】

私の通う国立台湾師範大学には、国語教学中心(英名:Mandarin Training Center略してMTC)が併設されています。(※Mandarinとは中国の公用語のことです。大学で習う中国語はMandarinです。)

ここのMTCは、台湾の中でもかなり有名で歴史のある語学センターだそうです。その証拠に、お手製の立派な教科書があります。レベル1から6まであって、私は1からスタートしました。

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MTCの為だけに留学している学生もたくさんいます。語学留学生は、日本人がめちゃくちゃ多いので、オリエンテーションも日本人だけ時間が分かれていて、日本語で行われていました(笑)

語学留学生は毎日3時間授業があるのですが、私たち師大の交換留学生は無料でMTCの授業を受けられる代わりに、週に2回、3時間ずつしか受けられません。

【授業の感想】

1回目の授業、絶望を感じました。クラスは交換留学生だけのクラスで、私を含めて日本人3人、韓国人4人、アメリカ人1人、オランダ人1人です。

基本的には教科書通りに進んで、先生のあとに続いて発音したり、単語の聞き取りや書き取りクイズや、ペアになって問題を解いたりします。

教科書の内容は予習していたし、文法部分なので難しいことはないのですが、教科書外のことを先生が話しているときに、たまに何を言っているかわからなくなります。

他の生徒はわかっているようなので、置いていかれている感じがして焦ります。語彙力とリスニング力鍛えねば…。

台湾の中の日本

街には日本食の店がたっくさんあるし、スーパーも日本で売っているものと同じものがたくさんあって、日本食が恋しくなることはなさそうです。むしろパスタとか洋食が恋しい…(笑)

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↓居酒屋行きました(笑) メニューも全部日本語!日本と同じ!

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日本語を勉強している学生も多いですし、男子生徒に関しては日本のアニメの話をしていれば会話に困ることはないです(笑)

日本人観光客も多いので、観光客がよくいくお店では簡単な日本語を話せる人が多いです。昔、日本が台湾を植民地化していたので、多くの高齢者の方は日本語を話せます。

そういったことから、よく言われている通り、台湾は親日国だと思います。まぁ少なくとも反日国だと感じたことはないです。

 

台北二二八記念館】

二二八記念館というところを偶然見つけて行ってきたので、少し書きます。二二八記念館とは、二二八事件の反省などを後世に伝えるために建てられました。

とはいっても、きっと二二八事件のこと知らないですよね?

(二二八事件概要)

1945年、日本が敗戦し、台湾は日本の支配から解放され、国民政府が戻ってきました。

しかし、日本から明け渡された台湾では、役人がわいろや特権行使などの汚職が横行し、政治腐敗が深刻化しました。

(簡単に言うと、日本が植民地化していた時の方が平和で安定していたということ)

日本の生活様式や感覚を当たり前だと思っていた人々にとって、国民政府への不満は大きくなっていきました。

そんな中、1947年2月27日、台北で闇たばこを販売していた女性が役人に撃たれ、それを見て起こった民衆が役人と衝突しました。

そこで、取締りの警察官が通行人の一人を誤って殺してしまいます。これが二二八事件のきっかけの「タバコ取締り血まみれ事件」です。

翌日の2月28日以降、人々が政府に抗議や不満を強く訴えはじめ、その運動は台湾の各地まで拡大しました。

医療界、教育界、新聞界、法律界など、社会各界のエリートたちが率いて政府に訴えましたが、その大半は容疑者として逮捕または殺されました。今日まで、行方不明、死体の行方も分からない方がたくさんいるそうです。

これが台湾史上もっとも悲惨な二二八事件の簡単な概要です。

台湾出身の方の著書を引用しているブログがあったので、それを引用してみます。

国民党軍が初めて台湾に来た時の事です。

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中学校二年生の時、中国から蒋介石の国軍(国府軍、国民党軍)が来るというので、早速歓迎のための中国語の歌を無理矢理練習させられました。

しかし、先生も生徒も中国語が全然分からないので、どんな意味の歌を歌っているのか、ちんぷんかんぷんで全く分かりませんでした。

ただ、先生の発音を真似して歌っているだけでしたので、私はずいぶん年をとった後も、その歌の内容が分かりませんでした。

 

国軍歓迎の式典の日、朝八時に駅に集合と言われて行きました。

しかし、国軍はいつまで経っても来ませんでした。

それで、午後一時に来るから十時に再度集合ということになりました。

ところが、十時に行ってみたのですがまだ来ません。

 

そこで、昼食を食べに戻ってまた三時に行きましたが、全然来る様子はありません。

更に待つこと二時間、結局来た時には時計の針は五時を指していました。

 

日本時代は、時間厳守は誰に習ったわけでもなく社会全体の雰囲気でした。

その当たり前の生活習慣に慣れていた私たちにとって、これが初めての「中国時間」の洗礼でした。

 

敗戦でシナ兵(中国の兵隊)が来ると聞いた時は、もちろん不安でした。

私たちは『キング』や『少年クラブ』、『幼年クラブ』といった雑誌に出て来るシナ兵のイメージがものすごく強かったのです。

シナ兵はまず汚い、風紀が乱れている、ボンボロ担いでこうもり傘を背中に差して裸足、というのを見ていましたから、頭の中で色々と想像を巡らせていました。

 

不安な気持ちで一杯でした。

 

そういうシナ兵が潜在意識に植え込まれてはいましたが、本当に見た途端に、もうガックリしました。

これはヒドイ!と思ったのです。

出迎えに来ていたみんながみんな「うわー」と言ったのです。

恐ろしい光景に見えました。

 

それまで日本兵しか見たことのなかった私は、兵隊というものは銃を担いでゲートルを巻いてピシッとしているものだと思っていました。

それが、シナ兵は裸足でボロボロの服を着て、天秤棒にドロ靴と鍋と七輪をぶら下げて、こうもり傘を担いでだらだらと歩いていました。

中には手で鼻をかんでいる人や痰を吐いている人もいるし、私は呆れてものが言えませんでした。

 

まるで乞食の行列でした。

そんな兵隊を自国の兵隊として認められますか。

今、その時のシーンを読者の皆さんの前に展開したらきっと気絶すると思います。

 

女学校の先生方も口をあんぐり開けていました。

台湾人全部が同じ思いだったと言っても過言ではないでしょう。

 

(楊素秋著「日本人はとても素敵だった」)

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このことから、日本に植民地化されていたとはいっても、反日感情が生まれなかったのではないかな、と思いました。

ハウスメイトの紹介

最後にハウスメイトの紹介をします~!

↓台湾人のJoyとDennis(誕生日だったからケーキでお祝いしてリボンを頭に着けてる)

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↓昨日来たドイツ人のLiaとGreg

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にぎやかになってきました♪

来週はフランス人が来ます!

今日はこのくらいで終わります!

長々と失礼しました。読んでくださってありがとうございました!